アリ・シミ 石田長生を語る(テキスト版)


アリ・シミ 石田長生を語る(有山じゅんじ×清水興)

アリ・シミ 石田長生を語る

1970年代の「ソー・バッド・レビュー」、90年代の「馬呆(BAHO)」などで、大阪を代表するギタリスト・シンガーとして知られた石田長生。没後4年の今年(2019年)、大掛かりなトリビュート・アルバム『SONGS OF Ishiyan』が発売され、9月の「なにわブルースフェスティバル」の初日は「石田長生展2019 SONGS OF Ishiyan」と題して開催される。
そのアルバム発売とフェスティバル開催を前に、長年の盟友であった有山じゅんじと清水興が石田長生について語る。途中から、大阪の音楽シーンの重鎮として石田を支えてきた鏡孝彦と津田清人も参加して、キーは石田長生でトークセッションが繰り広げられた。

トークセッション出演者

有山じゅんじ シンガー・ギタリスト・ソングライター
「五つの赤い風船」「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」など
石田長生、木村充揮と「平成トリオ」で活動

清水興 ベーシスト、プロデューサー
「ナニワエキスプレス(NANIWA EXP.)」「HUMAN SOUL」など
石田長生、中村岳と「トレスアミーゴス」で活動

津田清人
有限会社ジョイフルノイズ代表

鏡孝彦
株式会社グリーンズコーポレーション代表

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東京では、もう小山くんのレコードや、言うてるからね、みんな

– – – 石田さんのトリビュート・アルバム『SONGS OF Ishiyan』はどなたの発案なんですか?

清水(以下「シミ」):やっぱり小山くんでしょう。石やんが所属していたグラスホッパーの代表である小山社長自ら、エグゼクティブ・プロデューサーとして、発案して。

– – – 有山さんや清水さんに声がかかったときは、もうあるていどどういう人が参加するとか決まっていたんですか?

有山(以下「アリ」):いや、こっちのに関しては、いつもシミがそういうプロデュースも含めてなぁ・・・

シミ:「大阪組」でね。大阪組は大阪組でいうんで、最初話が来ましたけど。(有山さんと清水さんと)どっちが最初やったかわからへんけど、どっちも同じように来てると思いますよ。

アリ:レコード会社がいることやからな、江戸屋やったら江戸屋に声かけて、相談したんちゃうかな。向こうで。

– – – 東京のアーティストさんを集めてゆくときってね、東京組とかっていうのがあるわけではないじゃないですか。そういうときはやっぱり、誰かから声をかけてゆくとか?

シミ:今回はね、音的には、伸ちゃん(三宅伸治)がすごい頑張ってくれたみたい。伸ちゃんだけで、5曲ぐらいやってるんちゃうかなあ。

アリ:まあいうても、みんな、ほれ、長年の、石田と、そのつながりから始まったぁるからなあ。

– – – じゃあ今回のアルバム作るのは、東京組は三宅さんが中心になって・・・

シミ:中心いうことはないけど、人によっては自分だけでやるという人もおるし、全部で二十何組やったから・・・東・阪合わせて・・・21組ぐらいかな。

津田:小山ひとり頑張ってますもんね。

アリ:小山くんやな。東京では、もう小山くんのレコードや、言うてるからね、みんな(笑)

シミ:すごい頑張ってる。

津田:石田さんのマネージャーやから。

アリ:そう、そう、やっぱり。そんだけ思い入れが、な。

津田:そう、あいつは、思い入れのみで生きてるから。

アリ:そやけど、よう、やりよったなあ。

津田:ほんま、ようやったと思いますわ。

シミ:うん、うん。

– – – 小山さんの作品なんですね。

津田:いや、そうですね。ほんま、せやと思いますよ。小山くんの渾身の。

アリ:そうそう、「渾身」やな。

シミ:「渾身」や。

アリ:あいつ、倒れるのちゃうか。(CD)出たら。終わったら。ほんまな、それぐらい力入ったぁるから。

– – – 最初にアルバムを作るというお話があったのはいつ頃なんですか。

シミ:最初はね、去年。

アリ:だいぶ前からそんなん作る、とかなんやいうて。

シミ:最初の話はもっと昔々なんやけども、去年ぐらいから現実味を帯びて、で、実際のスタジオに入り出したのは、今年の二月ぐらいかな。二月か三月ぐらい。

メシ場にはおるねん

アリ・シミ 石田長生を語る

– – – 石田さん自身が西と東の橋渡し的なところがありましたよね。

シミ:そうなんですよね、はい。

アリ:いや、やっぱり昔からね、石田は。サウスの頃、そういう東京のミュージシャンと橋渡ししたのは石田かもしれんな。ウエストロードも含めて。・・・石田と山岸やな。

津田:ああ、そうですね。あの二人がね。

アリ:石田とか山岸は東京の人の打ち上げにも入っていけたし、なあ。そういう意味では石田くんなんかは、もう、すごい・・・

津田:社交的やったですね。

アリ:社交的。行動力があった。石田も山岸も社交的。どこの打ち上げでも山岸なんかおったもんな。

一同:(爆笑)

アリ:ほんま、ライブやってへんのに、打ち上げになったら山岸がおる、いう(笑)

津田:メシ場にはおる。

アリ:メシ場にはおるねん(笑) だから、そういうのを取り持ったんは、やっぱり石田の功績は大きいと思う。

– – – ジャンルも、東と西でちょっとずつ違うじゃないですか。関東でブルースそのままってやってはる人たちって・・・

アリ:いや、やってはったんやで。そやけどなんかちゃうねん、なあ。なんかちごたんや、なあ。

津田:ねえ、おしゃれ、おしゃれでした。

アリ:やっぱり、かっこよかったやん、なあ。おれなんか、逆に憧れたけどねえ。夕焼け楽団のケンちゃんのスタイルもそやし、内海さん、キャロルの。内海さんのブルースも好きやし。東京は、ああいうブルース。

シミ:かっこよかったんや。

アリ:ああいうブルースは(大阪の人たちには)でけへん。

シミ:そうそうそう。

– – – ジャズの人たちと石田さん、って・・・

アリ:石田は、「『枯葉』が弾ける高校生」やってん(笑) 心斎橋(のヤマハ)で「『枯葉』が弾ける高校生」。

シミ:竹田一彦一門ですからね。

津田:そうそう、竹田先生のね。

アリ:今年、竹田さんの、シミが入ってプロデュースして録ったやつ、あれやっぱり、ものすごい。「アクを抜いた石田」みたいな竹田さんの、上品な。やっぱり石田はなんて下品なジャズをやってたんやろう思って。

一同:(爆笑)

シミ:あれはちょっと別格ですわ。

アリ:不思議やね、ほんま。そやから(東西の)垣根取れて、それが二十代後半ぐらい。石田が、よう行き来してそういうのの仲をとったと思うから。僕らが三十になる前ぐらいは、みんな、東京のバンドとも仲良うなれたし。それはやっぱりほんまにあいつの功績で、そんな話をちょうどCHABOとしてたとこで、こないだ。
・・・田舎もんだけに、あいつはやっぱり田舎もんやっただけに、こう、なあ。

一同:(笑)

アリ:そやけど、八尾のやっぱりそのへんが、こう、行動力ある・・・

シミ:あんねんな。

– – – そういえば山岸さんも

アリ:伊勢やし。

シミ:そう、伊勢。

アリ:田舎もんばっかりやな(笑)

シミ:そうです。

絶対やってるて・・・ええかっこしいやし

– – – 有山さんと石田さんは学校でいうと同い年なんですよね。

アリ:同学年やけどねえ、あいつの、八尾中学のラグビー部のやつが俺の高校に入って来てたんですわ。それが、お前石田って知ってるか、言われて。ほんなら八尾中学でラグビー部やって、石田ラグビーやってたから。ああ見えて。脚短いでしょ(笑)

– – – 高校、どちらですか?

アリ:香里。同志社香里。音楽だけやっとったらええ学校やったんですわ。おれは高校で石田と知り合うたから。心斎橋(のヤマハ)でな。石田はすごい熱心で、龍谷を中退でやめたんやけど、いっつも同志社のね、同志社の軽音楽部が、それこそジャズ、あの頃の同志社と、早稲田のハイ・ソサイエティ・・・

シミ:で、同志社がサードハード。

アリ:サードハードな。それは、もう、ジャズのいちばん全盛。アマチュアの。たとえば中井猛。中井さんはライラック・レインボー、いう軽音楽同好会を作らはった人で、そこにいてたんがウエストロードですわ。で、石田はね、学校は同志社ちゃうのやけど、おれ、勉強たまにいったら、石田の音が聞こえてくるねん。

シミ:おもろいな(笑)

アリ:ほんまに聞こえてくるねん。あいつ、軽音楽部でギター弾いとんねん。それぐらい、やっぱ行動力な。そのメンバーは真鍋さんであったり、向井さんであったり・・・

シミ:石やん龍谷やったっけ。

アリ:龍谷は、もう2年ぐらいでやめよったけど。ずうーっと同志社におんねん、な。そやから、聞こえんねん、あのクセやから。

シミ:あのクセな(笑)

アリ:あ、また石田弾いとるわ、と思いながら。ライラックは、中井さんが作って、伸ちゃんから、塩次伸二、ウエストロードや。で(西村)入道も同志社やし、そういう時代・・・

– – – 石田さんは、自分の属しているところじゃない、よそにもぐりにいくのが得意な人やったんですね。

アリ:そらあ石田はすごい。そこはもうほんまにあいつの、行動力と、社交的な。

津田:もう、あと4年ぐらい生きとってくれたらね。

アリ:ほんまな、もうちょっといてたらな、ほんま石田がこれ(なにわブルースフェスティバル)やってたら。

シミ:なあ。ほんま、そやねん。

アリ:思うわ。みんな思うことやけど、それはもう言うてもしゃあないし。

シミ:ああ、確かに、な。

アリ:うん。・・・やってると思いますわ。あいつ、おったら、な。

津田:絶対やってますよ。

アリ:絶対やってるて。・・・そういうの好きやしね。ええかっこしいやし。

一同:(爆笑)

アリ:悪い意味やなくてな。

シミ:そう、そう。

アリ:悪い意味やなくて、ええ意味で。・・・俺らはな、「石やん」なんか呼ばれへんのや。誰が「石やん」て言い出したか知らんけどな。恥ずかしいて、な(笑) サウスのメンバーと、あと限りなく少ないやろ、「石田」なんて言うやつは。俺らは「石田」しか呼ばれへんから。みんな「石やん、石やん」言うけど。

津田:ウエストロードのメンバーも「石田」って言いますもんね。「石やん」て言えへん。

アリ:言えへん、やろ(笑) サウスもそうや。なーんか、恥ずかしいねん。「石やん」て言われへん(笑)

一同:(笑)

アリ:それはもう、自然に
・・・石田の話はもう終わりましょか。

一同:(爆笑)

すでに成功している人、まだペーペーの人、そのぐらい差、あるね

アリ・シミ 石田長生を語る

– – – 清水さんは石田さんと最初は・・・

シミ:最初は、高校のとき「上田正樹とバッド・クラブ・バンド」の前座したいうのがはじめです。

アリ:あー、そう、か。

シミ:そうっす。「バッド・クラブ・バンド」。石やんに佐藤(博)さんに。ねえ、ほとんどみんな亡くなってもうて、ねえ。

アリ:ほんま。

シミ:そう、(藤井)裕ちゃんに。

津田:全部亡くなってますよね。

シミ:だから残ってんの、まさかのベーカー(土居)兄さん(笑)、とキー坊(上田正樹)だけで・・・

アリ:ほんまやね。それでその前は、石田と、俺、ヤマハで初めて知り合うたときは、「ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ」やった。

シミ:「MZA」や。

アリ:「MZA」。石田がギターで、キー坊がボーカルで。”Somethin’ coming…” ってやっとった、なあ。

– – – 清水さんは、そこからのおつきあいということでも・・

シミ:そのころはまだおつきあいいうか、もう単に前座やっただけやって。それから、大阪に出てからは、いろいろ。うちのギターの和ボン(岩見和彦)の従兄で岡田準いうのがおって。

アリ:準、な。

シミ:準兄さんの、そのおかげで、俺ら、まだペーペーの頃から、天王寺の野音とか入れてもらったりとかしてた。ということを繰り返したあたりからが、ちょっとつきあいがつながったかなあ。で、一緒に仕事しだすときは、もう石やんがソロになってからです。

– – – 清水さんがおいくつぐらいの時ですか?

シミ:たぶんね、90年なるかならへんかぐらいの頃やったと思うから、そやから自分が、なんぼや、えー、三十半ばぐらい。で、石やんが四十なるかなれへんかやったと思う。

津田:90年で33歳ですね。

シミ:ああ、そうかそうか。で石やんが三十・・・

津田:七ぐらいです。

– – – 清水さんと有山さん石田さんって、ちょうど大学とかで入れ替わるぐらいの・・・

シミ:そうそう、ちょうど大学入れ替わる感じ。

– – – その年代にしたらけっこう、なんか、こう、兄貴分ですね

シミ:全然ね。すでに成功している人、まだペーペーの人、そのぐらい差、あるね。

– – – 社会人と学生ぐらいの。それが三十代、四十代になってくると、もうちょっと、こう、近くなってくるんですよね。

シミ:だんだん、そやね、自分らがデビューしたあとはようやく、なんか・・・

– – – 弟分というよりは、近い世代で、なんか見てくれはるような

シミ:だんだんそないなってきましたね。

– – – それから、いろんなユニットで。

シミ:はい。

あの「におい」は、one and only やね

– – – ベースシストの清水さんから見て、石田さん、シンガーとして、あるいはギタリストとして、どんな感じでしたか?

シミ:あの人はね、やっぱりね、「クセ」が強いギタリスト。あの「におい」は、やっぱりね、one and only やね。

アリ:そう、そう、そう。確かに、そや。

津田:上手いとか下手やとか・・・

シミ:そんな問題とちゃうわけよ。

津田:「石田節」。

シミ:そうそう。そんで、ジャンルもねえ、もう、全然、関係ないねん。石田ワールド。

津田:そうですよ。ほんっとに不思議なギターですよ。

シミ:ギタリストとしてはそうやけども、「作者」としては詩人やなと思うなあ。

アリ:詩人?

シミ:詩人。あの人、俺は、「詩人」というイメージがある。

アリ:ほう、ふーん。

津田:外国の曲を日本語にしてんのもすごい上手ですもんね。

シミ:ああ、そう、それもそうやな。パープル・レインでもそうやし。

津田:カバーはね、上手くね、ほんとに。日本語に乗っけて。

アリ:うん、な、ちゃんと原詞にも忠実やし。

シミ:そうそうそう。でも、うまいこと、ちゃんとしたストーリーが行くようになってんねんな。

津田:ああいうのん、て、RCファミリーが得意じゃないですか。

シミ:ああー、そういえばそやな。

アリ:そやな。

津田:やっぱりそこに石田さんが通じるとこがあるんじゃないかなって。だから、それこそほんま、「架け橋」じゃないけど。関東の方にも通じる。

アリ:ああ、通じるもん、あるな。あるかもな。向こうもそう思てるねん、石田のこと、な。

津田:石田さんはねー、清志郎さんとかCHABOさんのこと好きやったですからね。特に清志郎さんのことはすごい好きやったから。

アリ:そやけど、ヘルメットかぶってな、(ザ・)タイマーズみたいな真似する石田って、俺めっちゃ嫌いやってんで。大阪人としてはな。だから、俺とあいつと違うところはそこやねん。そやけど、今になって、歳いってからわかったけど、あの時代な、俺かてそういうことやるわけや。今になって歳いってからようやくわかったことを、あいつは若い時にそういう・・・たぶんええカッコしいやねん、あいつな。

一同:(爆笑)

アリ:それに弱いねん、そういうのに。悪い意味やないで。で、たとえば、あの、ボイス(The Voice & Rhythm)のときでも、こうやって、ギターを、こう、後ろへ、乗して、テレキャスを、こうやって、やったりすんの。何回、俺はやめとけ、て言うたか、あいつと飲んで。もうあんなカッコ悪いことやめとけー、て。そやけど、あいつはああいうの、やっぱり。プリンスやったらプリンスに憧れてしまうし。

ソロのギターももちろんええねんけど、後ろのとこでやるギターの良さは・・・

– – – 有山さん、石田さんと出会った頃から、羨ましいとことかってありました?

アリ:あいつは、やっぱ、ギター上手かったからなあ。だから、上手かったから、俺ができひんことを弾けたし、今でも、あのコードも知らんし、で、やっぱりあいつは、もう、ほんま(フィンガーボードを)斜めに全部使う・・・

シミ:全部使う。

アリ:全部使わんでええのに、って、なあ、下から上までこう・・・

シミ:そうそう、全部使うてた。

アリ:全部使うてたから(笑) そんなんできひんかったから。

– – – 上田さんも最初に石田さんと会ったときに、「八尾にめっちゃ上手いやつがおるねん」って聞いて行った、っておっしゃってましたね。

アリ:(笑)いや、上手い、上手いと思うで。ほんまに。今思うと、今の十代でもあんなギターいてへんやろ、やっぱり、たぶん。

シミ:そうそうそう。

アリ:上手いいうのはおかしいけど。

– – – 「巧さ」に走るタイプじゃないですよね、

シミ:そう、そういう、too technique なとこはない。

アリ:あいつはね、自分のことができひん人やったなあ。そやから俺から思うたら、プロデュース。・・・そやからこのブルースフェスなんか、あいつ生きてたら、ええプロデューサーなってたと思う。

シミ:そうそうそう。

鏡:自分のことできひんけどね。

アリ:でけへん、ていうか・・・

鏡:極端な言い方やけど・・・

アリ:極端やで、極端やけど・・・

鏡:でも、そうでしたよね。

アリ:ギターもええねん。ソロもええんですよ。ソロのギター、もちろんええねんけど、後ろの、とこで演るギターの良さは・・・

津田:そう、後ろで演ったら、もう、抜群ですよ。

シミ:バッチリ。

アリ:ごっつ、ええねん。

津田:それを、前、ちらっと言うたら、ものすごい怒って。

アリ:怒んねん(笑) あいつ。

シミ:怒る、怒る(笑)

津田:俺はボーカリストやぞ、って。

アリ:あははははは(笑) そら、もう、冗談。怒りつつ、冗談やん。

津田:いやいや、本気でしたけどね(笑)

鏡:でも石やんの場合、前半がね、ボイス&リズム作るぐらいまで、ずーっと、どっちかいうたら・・・「GAS」の頃か・・・

アリ:「GAS」、うん、うん。

鏡:「GAS」の頃、ぐらいまでは、一歩引いたとこ、ずっと行ってたじゃないですか。

アリ:そやな、そうやな。

鏡:だから、「GAS」で歌いはじめてぐらいから・・・

アリ:・・・から、変わっていって・・・

鏡:みたいな、感じでね。

アリ:いや、気イ遣いやな。

鏡:気イ遣いは気イ遣い、なとこあったけど。

アリ:真面目やねん、あいつ。

シミ:なんていうか、器用に、いろいろ変化(へんげ)する人じゃないので。「私はこれ」っていうのがはっきりあるわけで。それがまず大前提としてある、という方やったと思いますね。

– – – 「なんでもできる」という自覚を持ってたわけではないんですか?

シミ:たぶん、ご自身では、どっちかというと「自分は不器用である」ということを意識して・・・

アリ:わかってるねんな、石田は。

シミ:うん、いろいろやってはったんちゃうかな、って感じがしますね。

– – – テクニカルなところでは、器用というか・・・

シミ:必要なテクニックに関しては、すごくね、トライしてはりましたから。それは。

「有山、歌作ろう」いうて

– – – 有山さん、石田さんの、ここは気に入らんかったなあ、っていうのはありますか?

アリ:今そうやって聞かれても、ほんまに、そんなもん全然ないですね。・・・若い時はお互い、言い合いしてね。「歌、やめろ」も言うたことあるんです、あいつに。あいつ、俺の中ではギターやったから、「GAS」の頃。「GAS」のツアー、いっしょによう回ったんですわ、いろんなとこへ。ほな、あいつはな、「お前は『サバ・ジン』みたいな歌作んな」て言うて。

鏡:あっはっは(笑)

アリ:ほんまにそれ言われて。あいつは玉出に住んどって。あいつの部屋でね、聴く音楽は、ハーブ・エリスと、ウェイラーズ。それが、ええ音やねん。で、ウェイラーズ、あの、ウェイラーズの、あれ、クラプトンやっとったん、なんやったっけ・・・

鏡:「I Shot the Sheriff」。

アリ:ああ、「♪アイ・シャッタ・シェリーフ」と、ハーブ・エリスとジョー・パスの「ジョージア(・オン・マイ・マインド)」入ってるレコード。それを、もう、えんえん繰り返して・・・。ほんで、サウス辞めようと思うねん、も、石田に相談に行ってん。・・・サウス辞めよう思って、試験受けに行ってん。大阪府庁な。ほんで、石田に、「もう俺辞めよう思う」。俺もギターがメインやったから、オリジナルそんな作ってなかってん。『ぼちぼち(いこか)』と。俺のソロは「♪ディーディ、ワ、ディディー」やるぐらいやから、中西(康晴)と。石田はそのとき、ええこと言うたんは、あいつも歌作ってなかってん、「ほんなら有山、歌作ろう」いうて。あいつ、そこから、大塚(まさじ)ちゃんとか、そのまま先ほどの行動力で、そういうとこみんな行って・・・。それで、俺かて負けん気強いから、あいつがそんなことやったら、俺かて歌作ろうと思うし、それが今、今に至ってると思いますわ。・・・やっぱり、不安やったし。たとえば、くんちょうもギター巧い、声、俺の憧れる、こういうふうに黒い歌、歌わはる・・・。で、俺は、まあちょっとは作れたけど、歌も、生きていく自信もないしな・・・

鏡:それって、(『ぼちぼちいこか』を)リリースした後なんですか、前なんですか。

アリ:前。

鏡:前。・・・じゃ、74年とか。

アリ:録音はしてたかもしれんけどな。

シミ:へえー、そしたら74, 5 年か。

鏡:五朗ちゃんは、もういてたんですか?

アリ:ドラムは上場さんの頃。

鏡:ほんなら、「8・8(ロックデイ)」の、あの、アルバムの・・・

アリ:あの頃やと思うわ。・・・石油ショックの時やったんや。(試験の)問題がな、オイルショックやってん。

「いや、俺はやる」

– – – 清水さんは、ほんまはもうちょっと、こうやったらなあ、っていうの、ありました?

シミ:えーっと、どうやろなあ・・・。なんかねえ、あの人はやっぱり、決めたことは絶対しなあかん人やから。

アリ:(笑)真面目やねん。ものすごい真面目。

シミ:すごい。あ、今日はそれ、せんほうがええんちゃうかなあ、思うのがあっても、ぜっったい、決めたら徹底的にやらはる人なんで。

アリ:ああ、そうや。

シミ:ねえ。それは、変えなかった人なんですよ。

– – – 融通がきかない。

シミ:融通きかへんし。

アリ:融通きけへんから、もう、泉谷(しげる)とよう喧嘩しとったやん、なあ。

鏡:頑固ですからねえー。

シミ:亡くなる年でも、ちょっと、喉がおかしい、言わはって、ちょうど山岸潤史が帰ってきたときやから、山ちゃんといっしょに三人で「S.O.Ra」で演ったときに、・・・節分の日やったから、あの人、祭りごと好きやから、「恵方巻き買うてきたからみんなで食おうやー」とか言ったら、俺とか山ちゃんは、そんなんええわー、別に俺ら、もう、そんなん食わんでも、別にええ、「いや、俺はやる」言うて、「今年はこっちの方向や」とか言うて。ほんで、やらはったけど、やっぱり、喉の具合もすでに悪かったから、えらいむせはって・・・
・・・せやから言いましたやん、そんなに無理したらあきませんでー、いうて、ちょっと病院行きましょうや、って、内視鏡やったほうが絶対いいですよ、いうて、内視鏡行ったら、やっぱり、(癌が)あった、いう話。

– – – じゃあ、恵方巻きのおかげで見つかった。

シミ:まあ、まあ。

– – – ちょっと遅かったですけど。

アリ:なあ。

シミ:ちょっと遅かったですけど、ほんま。

鬱陶しいんやで、ほんま

– – – でも、こう、有山さんと清水さんのお話聞いてると、石田さんの人間像が、リアルによくわかりますね。

アリ:でも、わからんほうがええかもしれんで。

一同:(爆笑)

鏡:一般的にはね(笑)

津田:ちょっとナゾな感じでね(笑)

アリ:俺のこともそっとしといてな。

一同:(笑)

アリ:いやいやいや。ほんまに。やっぱり、あんな人はおらへんと思う。

シミ:そうやなあ。

アリ:もう、あの、周りにもいてへんタイプやし。

シミ:ほんまやなあ。

津田:one and only です。ほんまに。

– – – 今日、お話聞いてると、なんとなく、そういうふうにone and only なんや、というのが・・・

アリ:でも、あんまり説明したら、わかってしまうと面白ないねんけど、音楽がone and only いうのがやっぱり、いちばん、お客さんが感じる。石田、こんなやつや、いう人物像が one and only 、ていうより、音楽が one and only って感じてもうたほうが・・・

– – – こういう話を聞いて、石田さんの魅力はここやったんや、あ、そういう人やから、私この人のここが好きやったんや、みたいなふうに思ってくれたらいいなと思って。今日は、そんなお話が聞けたな、という気がするんです。

アリ:ああ、いやいや、まとめていただいて、石田、喜んでると思うんです。

津田:いや、石田さん、喜んでますよ。気イ遣いですから。

鏡:わははは(笑)

津田:ほんと、気イ遣いますよ。他人(ひと)にね。他人(ひと)には気イ遣いますよね。

アリ:そやんな、あ。

– – – 今年のブルースフェスも、もう、1日半、石田さんトリビュートじゃないですか。これだけのアーティストが、石田さんトリビュートでいこか、と集まってきて、続々と出てくるというのは、なんでや、と。

アリ:いや、やっぱり、そういうとこや、な。

– – – 人徳、もあるけど、さっき有山さんがおっしゃったええかっこしいとかね、その、「立派な人」というんじゃなくて、すごい可愛げがある、というか、こう、魅力のある人やと思うんですよね。

アリ:うん、うん。もちろん。

– – – そこが慕われてる・・・

津田:少なくとも、嫌われてはなかったですよね。

一同:(爆笑)

アリ:お前、鬱陶しいとか言い合いするけどね、心底言うてないから、お互いに。鬱陶しいんやで、ほんま。

一同:(爆笑)

– – – 他人(ひと)のふところに入って行きはる人なんやな、ていう気がします。

アリ:そうやね。ほんま、そうです。

食前食後に・・・石田・・・長生

アリ・シミ 石田長生を語る

– – – 最後に、今年のブルースフェスの、石田トリビュート・ナイト、どんなんになったらええなあ、と思いますか?

シミ:まず、今回は、はっきりしたテーマを持ってやるブルースフェス、最初なんで。フェス以前に、小山くんが中心になって作ったアルバムっていうのも、ほかの人たちの作品とか聴いてると、けっこう面白いんすよ。で、全員揃ったらどんなになんのかな、っていう楽しみが、今すごくあるので。また、ライブになるとまた違う色がいろいろ出てくると思うので、作品として発売されるものの楽しみっていうのと、またそれを、同時期に、ライブとして。これが、具現化できるっていうことの「楽しみ」ですね。非常に、自分自身も楽しみを持って。今年は。

– – – 今年は、初日のアンコール、どうなるんでしょう。

シミ:どうなるんでしょうね(笑) 初日は、もうトリビュート一色になりますから。興味がありますね。

– – – ありがとうございます。有山さんは。

アリ:俺は、どうなんやろ・・・。ものすごく、もちろん楽しみでもあるし、で、なんやろ、「食前食後に・・・石田・・・長生」みたいな、感じかな。

津田・鏡:へっへっへ(笑)

アリ:今年の1日目は、なあ。

シミ:うん。

アリ:いや、好きな人ばっかりやし、出ていただいている・・・みんな。で、個性あるし、みんな。それがみんな石田の曲歌うわけでしょう。

一同:うん、うん。

アリ:それはものすごい興味あるし。みんな集まって、遠いとこからも来てくれはったらええと思うし。

– – – ありがとうございます。今日の対談の締めは、「食前食後に石田長生」ということに。

一同:(爆笑)

シミ:そやな、それがいちばんええと思いますわ。

鏡:「食前食後に石田長生」って、ちょっとtoo muchな感じがしますけどね(笑)

アリ:too muchやな(笑)・・・「食前」でもややこしいし。

鏡:絶対もめますよ。もめた上に食あたりですわ。

(インタビュー・構成 柿木央久)