HISTORY


ブルースの到来

ブルース、広くはカントリー・ブルース、シティ・ブルース、リズム・アンド・ブルース(R&B)、ソウル・ミュージックなどを含む音楽は、1960年代にイギリスのミュージシャンによって日本に持ち込まれました。 アフリカ系アメリカ人の音楽だったブルースは、1950年代までのアメリカでは人種差別の影響もあって一般的にはあまり知られていませんでした。ところが米軍がリヴァプールに駐留したことがきっかけでイギリスの若者たちの間で人気となり、ビートルズやローリング・ストーンズをはじめとする新しい音楽を生み、1960年代には「ブリティッシュ・インヴェイジョン(英国の襲来)」としてアメリカや日本に上陸しました。

なにわブルースの成立

日本に上陸したブルースは、東京などほかの大都市では定着しなかったようですが、大阪にはしっかりと根をおろしました。1970年代半ばには「憂歌団」「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」など、ブルース・R&Bのバンドが大阪で相次いでレコード・デビューし、「大阪ブルース」は日本中の若者たちの注目を集めました。 ブルースはリアリズムとリズム感(グルーヴ)、そして独特のハーモニーを大事にする音楽ですが、大阪人に特有の合理主義と現実主義、大阪弁のもつ強いリズム感やアイロニーが、ブルースという音楽と大変に相性が良いらしいことは、多くのミュージシャンやプロデューサーたちが認めています。

なにわブルースのリバイバル

大変残念なことに、日本のポピュラー音楽のメインストリームにおいては、その後大阪のブルースはほとんど無視されてきました。 しかしその間にも、大阪では「なにわブルース」と呼ぶべき独特のブルース音楽が育まれてゆきました。20世紀の初めにミシシッピ・デルタに生まれたブルースが、戦前にシカゴで「シカゴ・ブルース」を生み、戦後イギリスへ伝わって「ブルース・ロック」を生んだように、20世紀後半には日本に伝わって「なにわブルース」を生んだのです。 1970年代に相次いで登場した第一世代に続いて、1990年代には大西ユカリ、ザ・たこさん、オーサカ=モノレール、韻シストなど次の世代が、2010年代にはOSAKA ROOTS、四人トリオ、山岸竜之介などさらに若い世代が登場しました。 そして長く活動を休止していた「憂歌団」や「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」が活動再開し、大阪出身のベテラン演歌歌手・香西かおりや、「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」のメンバーで長くニューオリンズに拠点を移していた山岸潤史が大阪のブルース・シーンに参加してアルバムを発表するなど、ここ数年でなにわブルースは再び活況を呈しています。